心の病気と本の話

なんとなく、自分の心の病気と読んだ本について書き留めておきたくなったので、書きます。あんまりおもしろい話ではないです。

私には10年ほど前から対人場面における強い緊張というような症状があり、精神科ではおもに「社交不安障害」と診断されています。緊張によって吐き気、嘔吐、胃痛など身体にも影響が出ます。「緊張によってなにかひどいことが起こるのではないか」という不安(「予期不安」というそうです)も強く、そこから不眠が続くとうつ症状がひどくなることもあるし、パニック障害に近い症状が出ることもあります。何度か抗うつ薬による治療も行いましたがあまり良くならず、普段は抗不安薬の頓服でしのいでいます。

現在では二度の妊娠出産によるダメージ、日々の育児の疲労も加わり、あんまり生きた心地がしない日も多いです。でも毎日「生きてる~」と実感するのもそれはそれで疲れそうですね。まあそういう感じです。

さて私のように長いスパンで社会生活に問題を抱えている場合、投薬よりはカウンセリング(心理相談)やサイコセラピー(心理療法)を受けたほうが、より良い効果があるだろうと主治医からは言われています。

しかし対人緊張が強い自分には、カウンセリングはちょっと受けられる気がしません。心理療法も同様で、瞑想や自立訓練法など、専門家の助けを借りずに実践するのは難しい(または危険)技法も多いですし、グループセラピーなんかもう最悪です。全体的に料金設定も決して安いとは言えませんから、自分に合うものを見つけるまでの道程は経済的にも厳しそうでした。

よって私は、カウンセリングの症例集や、心理療法について書かれた書籍をたくさん読んで、知識を蓄えることで自分の症状と向き合おうと思いました。そう強く決意したのがだいたい5年くらい前でしょうか。

なお、自分の主治医によると、書籍を読むことで行われる「自分との対話」も、カウンセリングと同様の効果を発揮することがある、とのことでした。私と同じような理由で諦めている方がもしいたら、本を読むだけでも治療に繋がると知ってもらえたらいいなと思います。

では私がこれまで読んだなかで、確実に「生きやすく」なった、治療を一歩進めることができた、と感じた書籍を2冊、追加で微妙な問題作を1冊、書き留めておこうと思います。

1冊目はこの書籍です。
タイトルに「うつ」とありますが、脳機能が一時的に阻害されるタイプの典型的な「うつ病」ではなく、広義の「うつ状態」を指すものです。健全な方であっても、病的に落ち込んだり、マイナス思考に陥ったりしやすい方には、非常に効果的な内容が含まれると考えます。

この書籍で解説されているのは、アルバート・エリスというアメリカの心理療法家が提唱した「理性感情行動療法」ないし「論理療法」と呼ばれる治療法についてです。

治療法、と言っても、難しいことが書かれているわけではありません。うつ状態を生み出している根本の原因が「偏った考え方(非合理的な思い込み=イラショナル・ビリーフ)」にあるとし、そこから脱却する手順が紹介されているだけです。要するに、「考え方の癖を改めるための手引き書」といったような内容です。自己啓発本にありがちな論理矛盾や飛躍もないと思われますし、私にはとても理解しやすいものでした。

この本を読むことで、私はどうやら普段から、論理療法の用語で言えば自己非難や自己憐憫に陥りやすい「考え方の癖」を持っているらしいということが分かりました。言い方を変えれば、自分の苦しみを客観的に評価する手法を知らずに生きてきた、とも言えるかもしれません。

さて、この本を読んでセルフケアの方法もおおよそ把握できましたが、考え方の癖を変えるためには、何度も繰り返し実践する必要があります。これはなかなかたいへんな訓練です。根気と覚悟が必要です。

私はかなり努力してこの訓練に取り組んでいましたが、やればやるほど、どうもなにかまだ足りない、納得のいかないところがあるような気がしてきました。

この謎を解明するにあたって、次に紹介する書籍が非常に役立ちました。

これは心理療法の書籍ではありません。日本の精神科医による症例集です。虐待をはじめ、機能不全家庭で育った子どもがどのように成長し、どのような生きにくさを感じるか、またはどのような精神疾患を発症するのか、といったテーマでさまざまな症例が紹介されています。

曰く、被虐待児が社会に出て生活していくと、重度のうつや不安障害を引き起こすことが多いが、投薬やカウンセリング、一般的な認知行動療法ではなかなか良くならない、とのことで、私には、この「認知行動療法が効かない」という部分に、強い納得感がありました。そもそも認知行動療法というものは、もともと「健全な精神を持った人」を、「健全な状態に”戻す”」ことを目的に考案されていることが多いそうです。一方、被虐待児は「規範となる健全な考え方」のベースが欠けているため、これらが効きにくい、となるわけです。

この書籍との出会いにより、前述した論理療法の実践が私には今ひとつなじまなかったのは、自分の生育歴にも問題があったためか、と理解することができました。

自分が思春期の頃、母親がアルコール依存症だったことから、機能不全家庭で育ったという自覚はありましたが、いわゆる身体的な「虐待」は受けていなかったことから、自分を虐待からのサバイバーであるとは考えたことがありませんでした。しかしこれは間違った自己認識だったと、この本を読んで初めて気づきました。

虐待には法律上、いくつかの分類があります。私はどうやら心理的な虐待を受けていた、または、心理的な虐待を受けたのとほぼ同等の「認知の歪み」を自分のなかに抱えてしまったようでした。

少し詳しく説明してみましょう。私の母親は、父親の言を借りれば「過保護」でありました。今では「過干渉」のほうが実態を正しく表現していると思いますが、要するに母親は保護者として、子どもをまったく信頼しない人でした。なにかにつけ「心配だから」が口癖で、そのたび父親が「おまえたちに対する愛情が深すぎる」と説明していました。「愛情が深すぎて」つい限度を超えてしまうのだ、とのことでした。

まあいずれにせよ限度を超えて良いわけがありませんが、当時の私にはそんなことも分かりません。ともかく私は両親から自分は少なくとも「愛されている」と信じ込んでしまいました。

私の抱える問題の根本は、まさにこの思い込みにあったようです。

私は愛されているはずなのに日々罵倒され、友だち付き合いまで管理され、漫画やアニメも取り上げられ、いつでも「成績が良いこと」を求められ、将来は弁護士になるよう強制され、出された料理を残すと親不孝者と罵るくせに全部たいらげると豚みたいだと呆れられ、間食すると「自分の料理に不服があるのか」と詰め寄られ、挙げるときりがないですがとにかく愛されているはずなのに気が休まることがない、私はずっと混乱していたのだと思います。

現代のように情報収集の手段も多くないため、よその家との比較もできませんでした。理不尽な理由で罵倒された場合も、私は自分こそが悪い行いをしたのだ、と解釈するほかありません。どんなに悔しくても、最終的にはヒステリーを起こして泣きわめくか、あるいは稚拙な自傷行為などで気を紛らわせることしかできず、言葉で自分を弁護する機会も与えられないまま成長してしまいました。

私がこの書籍を読んだのは30代後半になってからでしたが、本当にそれまでまったく、「親の愛情」を疑ったことがありませんでした。実際のところ、この「認知の歪み」をここの年齢まで抱えてしまったことが、なにより心理的な虐待があった事実を示していると思います。

ゆえにいつでも私は混乱し、自分の気持ちと向き合うすべを知らないまま無理をしつづけ、ある時点で限界を超えてしまったのでしょう。

繰り返しになりますが、この書籍を読んで私ははじめて自分の認識の誤り、すなわち親の愛情が本当は「なかった」ことに気づきました。全然まったく愛されていないわけでもなかったとは思いますが、少なくとも私の求めるような愛情でなかったことは確かです。単に親の都合と機嫌にふりまわされていただけだ、と認めることができたので、心の持ちようがずいぶん楽になりました。そして、認知行動療法が効きにくい理由が分かったことと、自分の認識の誤りを是正できたこと、この2点において私は大きく救われました。

そして最近、「僕が僕であるためのパラダイムシフト」という漫画を読みました。一読してなかなかのトンデモ作品であると感じたのですが、部分的には共感できたり、参考になったりするポイントもあったので、一応「問題作」という括りでメモしておこうと思いました。

僕が僕であるためのパラダイムシフト

僕が僕であるためのパラダイムシフト

  • 作者:EMI
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: Kindle

こちらのリンク先からも全文読めます。
https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594

男性一人称のエッセイ調で描かれた漫画です。著者(女性です)の生い立ちや体験と共通する部分も多く含まれるようですが、あくまでもフィクションだそうです。

あらすじをまとめると、機能不全家庭で育った男性が高校生の頃から不眠や無気力に悩まされるようになり、社会に出てからうつ病であると診断され、やがて認知行動療法を始めとした治療行為を試しながら、自分に合った治療と出会い、生きやすさを取り戻すまでの過程が描かれています。

ちなみに、この漫画の主人公は不眠を主訴とした「うつ病」と診断されてはいるものの、これは誤診というか、総括的な意味での「うつ状態」を指しただけではないかと個人的には考えています。例えば「重度の適応障害」と呼んだほうが、より正確に病態を表すのではないでしょうか。

その他のツッコミどころとして、うつ病が突然「治った」と言ってしまうところ(まともな精神科医なら「寛解」という言葉を使うと思います)、催眠療法を行う心理療法家としてマエダ先生なる実在の人物がやけに持ち上げられているところ(検索すると17万円もする施術がヒットし、さすがに引いてしまいます)(あと、典型的なうつ病の場合、マエダ先生のWebサイトは情報量が多すぎてまず読めないと思います)、自己判断で減薬して離脱症状に悩まされるところ(医師との相談なしに絶対にやってはいけないことです)、など、本来なら一般に流通してはいけないレベルの誤謬が含まれていると思います。

そういうわけで、この漫画は「トンデモ作品」と言わざるを得ない、と判断しましたが、それでもリンクを貼って紹介したいのは、以下に述べる2点において、評価に値すると思ったからです。

1点目は、だらだらと続く病院選びや病院通いのリアリティ、です。心の病気を抱える方の多くが、この描写には共感するのではないかと思いました。

私も自分の心の不調に気づいて以来、病院通いを続けています。薬の出し方、病気に対する見方も、実は医師によってさまざまなので、合わないと感じたら別の病院を探すしかありません。とくにうつがかなり重かった頃は、病院に予約のための電話をするだけでも頓服が必要でした。外出に至ってはもう、拷問かと思うくらいのしんどさです。そしてやっとのことで外出しても、医師と合わないと思ってしまったら、そこからまた別の病院を探さなければならなくなります。また、仮にそこそこ合う病院が見つかったとしても、通い続けるためにはまた毎回「電話」や「外出」という高いハードルを超えなければなりません。本当にもう試練の連続です。

こういう「しんどさ」は、実際に体験した人でないとなかなか理解しがたいと思うので、そこがリアルに描かれているのは良きことです。

2点目の評価ポイントは、マエダ先生なる治療家の言葉にあります。

マエダ先生は「考え方を変える」ことを強くすすめます。先に述べた論理療法と根本は共通していて、これは一応ちゃんとした心理療法の手法です。もちろん本来の「うつ病」すなわち脳機能の障害が、投薬なしにこれだけで治るわけではないので、完全に誤解を招く表現であり危険極まりないと言えますが、それはそれとして、心理療法の手段としては間違ったものではありません。

マエダ先生によるアドバイスはシンプルです。例えばこれ。

  • 自分を虐待してはいけない、他人にそれをしたらどうなるか考えれば虐待の基準が分かる

虐待という言葉は強すぎるような気もしますが、判断基準がきちんと提示されている点が素晴らしいわけです。

論理療法に限らず、自虐の弊害については様々な書籍で詳しく説明されています。しかしなかなかここまでシンプルにまとめてはくれません。(こういう言い切りは危険だからだと思われますが)これくらいシンプルだったら、日々ふとしたときに「これは自虐だな」と気づくこともできそうです。

他にはこういう表現もありました。

  • 心はペットのようには飼い慣らせない、非論理的な存在である

「心」がなにを指すのかという定義もなにもないのですが、要するに自分のなかに自然と起こる気持ちに対して、無視したりなにかを強制するのではなく、ただ向き合うことしかできない、という意味だと思われます。これもすごくシンプルで良かったです。私はなにかと難しく考えがちで、すぐ「自分が悪い」と考えてしまう癖のなかには、ごく自然に自分の気持ちを無視したり否定したりする癖も含まれます。

この部分を読んで、自分の気持ちというのは、そのまま受け入れていいものなんだな、と思ってもいいような気がしました。まだ訓練は必要ですが。

総じて「マエダ先生」そのものはうさんくさいところも多々あるのですが、合う合わないはあるにせよ、人によっては有用なアドバイスにもなり得ると思います。シンプルなのは良きことです。また考え込んでしまいそうなときには読み返したい、と思うくらいには、気に入ってしまいました。トンデモ本なのに……。(※誰にでもおすすめというわけでは決してありません)



以上で書きたいことは書けました。読んでくださった方がいたらどうもです。「~という」みたいな表現を使いすぎだと自分でも思います。
週刊少年ジャンプが一番好きです。