山城の死に寄せて

山城のことを書くとなると必然的に長くなる。そういうのは面倒だからこの一ヶ月ほど、書き出してみては消すことを繰り返していた。とはいえ昨日の送別会でご親族から背中を押されもしたので、長すぎて読めないタグ覚悟で書けるだけ書いておこうと思う。あの世からもはてなブログは読めるだろう。なんせそっちには、しなもん会長だっているんだろ?


山城の訃報を知ったとき、ああ彼の番が来たのか、と考えた。ずいぶん早いじゃないか、と。それから、ひどく動揺した。訃報はAWSのセミナーを受けていたときにDMで受け取ったのだが、その後の受講内容はまったく覚えていない。動揺してしまった。どうせ人は死ぬ、だから誰が死んでも、それがたとえ自分であっても冷静でいようと決めていたのに、結局うまくいかなかった。

だって死んだのは山城だ。

山城との関係を語るのは、私には少し難しい。親しい友人というほど近い距離にいたわけではないし、おそらく彼も「友達は友達だけど別にそこまで親しくはなかっただろ」と言うだろう。彼はまずシャイだし、面倒くさい考え方をするし、人との繋がりをやたら冷静に分析しようとすることがあったし、多分それは彼が人懐っこくて寂しがり屋だったからだと思う。かといって、山城と恋人だったわけでもなければ赤の他人だったわけでもない。技術コミュニティで知り合った友人、と表現するのがもっとも妥当だろう。

ただ私が彼との関係を表現しづらいと思うのは、引きこもりで滅多に休日に外に出ない私が、生前に二度も、彼と偶然、顔を合わせることがあったからだ。

多くの人が知っている通り、山城は「幹事」として、様々なイベントを主催していた。だから、山城の主催するイベントで、あるいは山城に誘われて楽しい時間を過ごした人は相当の数に上ると思う。でも、私はなぜか、約束も無しに山城と会ってしまうのだ。それほど会いたいと思ってもいないのに。二回とも「なんで?」とお互いに言った。もちろん、迷惑そうに。なんのことはない、私も彼と似たところがあって、微妙な距離感の友人と道でばったり会って、たとえ「嬉しい」という感情がわいてきたとしても、それを素直に表明することができない。

一度目は、六義園の紅葉がライトアップされるイベントに行ったときだ。私は当時付き合っていた人とのデートで訪れた。山城はまあ、一人だった。いつも何やらイベントを企画している山城のことだから、グループで来ているものだと思った私は、「一人なの?」と声をかけた。そしたら山城は持ち前のルサンチマンを爆発させて私に殺意を抱いたようだった。

この件に関してはこの後も長らくネタとして語り継がれた。私としてもいいネタができたくらいに思っていたのだが、いまだにひとつ山城に言ってやりたいことがある。お前、「ろくぎえん」ってずっと発音してたけど、「りくぎえん」だからな。そのTweetするとき、「ろく」「ぎ」「えん」って必死で変換したんだろ。あの世でそのネタ披露するんだったら気をつけたほうがいいぞ。

ちなみに至極どうでもいいことだが、当時付き合っていた彼氏とはとっくの昔に別れた。そのことを知った山城は妙に勝ち誇った顔をしていたものだ。私と山城はなんだかんだで、お互いをクズだと罵り合うだけの仲だったと思う。ただ山城は人が良く、頭ももちろん良く、笑える範囲内でしか私をクズ呼ばわりしなかったのだが(とはいえ、java-jaという集団の「笑える範囲内」は相当悪ふざけに寄っているわけだが)、私も私でメンタルをこじらせていて、ときに知らない人から見れば「マジなんじゃないか」と思われるやり方で山城をバカにしたので、山城のことが大好きなヨシオリその他大勢にボッコボコにマジレスされることがしばしばあった。

何度かマジレスを鵜呑みにした人々からの流れ弾が山城にも当たるようになり、シャレにならないとかで二度ほど私は彼からブロックされている。しかし私も大して自分のTLを気にしていなかったので、あるとき山城本人に「あんたのTweet見えないんだけどバグかな?」と真面目な顔で聞いてしまい、「あ、お前ブロックしてるわ」と決まり悪げに言われて私もばつが悪く「へぇ」と言うしかなかった、ということもあった。「へぇ、それ解除してくれないの?」「そうな、今フォローしといた」謝罪は双方ともなかった。その程度の、ゲスい仲だった。

私の知る限り、山城は女性に対しては紳士にふるまっていたし、ときどき私の性別を思い出したときにだけ居酒屋で靴箱に入れた靴を取ってくれたり、段差のところで手を差し出したりしてくれていた。「虫酸が走るわ」と私は言い、「お前、人の好意を無碍にするなよ」と山城は笑った。山城は私よりははるかに大人びていて、他人から見ればひねくれたところもあっただろうが私よりはるかに素直で、素直すぎてよく「セックスしたい」とか言っていた。私はいつも「そんなことより尻を開発しろよ」と答えた。

二度目に偶然会ったのは、しょぼくれたショッピングモールの映画館のそばの喫煙所だった。山城はかなり長いあいだ禁煙していたようだし、喫煙者である私にも散々タバコやめろと諭していたのだが、そのときはうまそうにタバコを吸っていた。私が視線に気づくと山城は視線を逸らした。「お前完全にすっぴんだろ、声かけられたくないかと思ってさ」その昔、それなりにちゃんと化粧している私に対しても「すっぴんブサイクだな~」としみじみ言っていたデリカシー皆無の山城の思考回路を読むなら、そのとき単に私と話したくなかっただけだと思うが、気を遣っているふりをしてくれたわけだ。私はムカついて、せっかく会ったんだからお茶でもするか、と誘った。結局、居酒屋で二人で酒を飲んだ。それなりに気まずかったので、ビールとタバコだけがすすんだ。安上がりでいい。

山城と私が偶然同時に見たらしい映画は「おおかみこどもの雨と雪」だ。感想を語り合えるようなものではなかったが、山城も私も泣き顔だった。気まずさを通りこしてイラッときた。私は当時、8年半勤めた会社を辞めて無職で、転職先も決まっていなかった。山城は珍しく「心配だわ」と言った。珍しかったのでよく覚えている。「お前、貯金なんかすぐなくなるからな」山城に心配されるという事態が屈辱的だった私は意地でも頷かず、自分は大丈夫だと再三主張した。

それでなんとなく、好きな小説の話になった。私は読書が趣味だし、山城もそれなりに本を読む。山城はSFが好きだと言った。私もそれは好きだ。冲方丁山本弘神林長平ハインラインブラッドベリフィリップ・K・ディック。山城と私は、そのとき初めて、意外と読書に限って言えばお互いに趣味が合うのかもしれない、と思ったのだと思う。それなりに盛り上がり、おすすめを交換しあったりした。もうほとんど忘れたけど。伊藤計劃については小一時間くらい延々話していたような気がする。「『虐殺器官』『ハーモニー』読んでさ、これはいい作家見つけたと思ったら……」「そうそう、亡くなっちゃったよね、次回作楽しみだったのに……」「円城塔が遺作を引き継ぐって言ってるけど」「あんま好みじゃない気がする」「分かるわー」ずっとそんな話をしていた。お前さ、一足先に伊藤計劃に会えるんじゃねえの。ちょっと羨ましいよ。山城。

みんなの人気者だった山城の、みんながもしかしたら知らないかもしれない一面を書こうと思った。でも書いてみて分かった。私が知っていることなんて、やっぱりとてつもなく少ない。山城は馬鹿騒ぎも好きだったが、ひとり静かに読書をするのも好きだったし、そのくせぼっちだと思われることに耐えかねてひとり静かに本を読んでいる事実をTweetせずにはいられないようなところがあった。ほんと、人間が好きなんだよなあ。

調べてみると、私がjava-jaに初めて参加したのが2007年秋ごろ、山城と言葉を交わすようになったのは山城邸の鍋パーティ以来なので2008年1月からだ。ずいぶん経ったものである。

やっぱり書き出すときりがないので、この辺で終わりにしようと思う。昨日はjava-jaで豪勢に送別会をした。いい大人が爆笑したり涙目になったり忙しい会だった。「人が死ぬと金が儲かることが分かった」と三十路すぎて悪ガキみたいなこと言ってた主催者も泣いてたよ。あいつらの涙を私は初めて見た。雨まじりの天高く花火が上がったので、あの世の山城にもきっと見えただろう。

この世で偶然会った確率からして、多分あの世でもまた偶然会ってしまうような気がする。私はみんなと違ってまた会おうとか絶対約束しねえから。お前みたいなデリカシーない奴に偶然以外で全然まったく会いたくないわ。

だから、そっちで勝手に元気でやってなよ。