退職に際してのふりかえり

◆ご挨拶
2012年9月末付で退職しました。在職中、公私問わずお世話になったみなさまには心よりお礼を申し上げます。また、インターネット在住のみなさまには今後ともよろしくお願いいたします。


◆前職での経歴など
せっかくの機会なので、前職で私が携わった業務について書き留めておきたいと思います。公開情報ということで詳細は省きますが、ご興味を持たれましたらメールやオフラインでご紹介することは可能です。また、なるべく自分のスキルセットが明らかになるように書いていきます。


私が入社したのは2004年の春です。新卒採用でした。大量採用(250人以上)の年度でもあったためか、いまだに同期入社社員にはキャラ採用が目立つとも言われています。今は同期入社社員のうち、6~7割くらいしか会社に残っていないそうです。


手厚い新入社員研修を受けたあと、配属された先はいわゆる「新規分野における研究開発」をメインで行なっているような部署でした。2004年当時ですから今は昔ですが、今から考えても高いアンテナを持つ方が多く、また技術力も高い方ばかりであったと思います。


私が最初に受け持った業務は、RFIDにおける技術検証というものでした。RFID、つまり無線ICタグやその受信リーダを使ってあれこれする技術です。今も大手販売店の在庫管理や、イベントの入場者管理などに利用されていますね。ICタグ製造コストが大幅に抑えられるようになったり(とはいえ紙に印刷されるバーコードと比較すると雲泥の差なのですが)、UHFの電波帯域が開放されたりで、それなりに注目されていた分野だと思います。


およそ2008年ごろまで、なんだかんだでRFID絡みの開発を担当しました。業務内容としては、ICタグの特性をレポートにまとめて研究所や研究機関に発表または提出するといった検証、RFIDリーダとTCPでやり取りするアダプター部分の開発、タグのデータを集約するデータベースの設計・開発、また利用者(エンドユーザ)向けのタッチパネルGUIデザイン、HTML/CSS/JavaScriptのコーディングなど、開発者としてひと通りの経験をさせて頂けました。


以前JJUGで発表したことがあるのですが、この頃とくに興味深かったのは、ロボット(エンジン部分とTCPで通信するインタフェースを持つもの)をICタグでもって誘導する、というような政府主導の受託研究開発です。もし興味があれば経産省のレポートなど検索して頂くと(私の名前は残っていませんが)私が担当したレポートもご覧頂けると思います。ただこの案件は非常につらくもあり、長距離出張+夜間作業が1ヶ月以上続き、まともな休日もなく、泣きながら飛行機に乗っていた記憶があります。


多分この頃から、受託開発の問題点や自身のスキル、キャリアデザインについて真剣に考え始めたように思います。稚拙かつ世間知らずな意見をはてなで公開し、様々な分野のモヒカンのみなさんから叱咤を頂くうち、じょじょに考えも変わっていくのですが、それはまた別のおはなし……。


開発はおもにJava言語で行なっていました。J2EEがメインだったのでコンテナとしてはJBossもかなり初期から使っていますし、EJBの進化には胸が熱くなるばかりです。データベースはPostgresqlが多かったですが、OracleMySQLも使いました。MVCフレームワークの概念が盛んに騒がれ始めた頃でもあったので、EJB・Spring・JSFSeasar2など有名どころから雑多に、あるいはWicketActiveObjectsなどややマニアックなものも使いました。また、RFIDリーダは動作速度と自律的な故障回復が求められることが多かったので、そのためにC言語も勉強して少しだけ書きました。JavaからCへ至ると、メモリ管理はもちろんのこと、Stringクラスの素晴らしさを心の底から見直しました。


GUIデザインの分野では、タッチパネル向けのボタンの設計、画面遷移のしかたを人間工学からも学びたいと思って研究機関にアクセスしたり、Photoshop Worldに参加させてもらったり自分なりに努力しましたが、一度としてこのあたりのスキルが正式に評価されることはありませんでした。違約金を払って夜逃げしたベンダーの肩代わりまでしたのに。今もちょっと謎です。2005年くらいからAjaxにも(当時は英語の資料しかありませんでした)手をつけていたので、その後のJSの流行を予測できていたらもっと別の道を歩めたのではないかと思ったり思わなかったり。その後も簡単なデザインが求められるたび対応することなどしばしばありました。


2009年ごろから現在にかけては、ネットワークエンジニアとしての仕事が増えていきます。一部のみなさんがよくご存知の通り、NGNをはじめSIPというキーワードでテレコム技術に深く関わるようになりました。テレコム~Webとの橋渡しのようなこともしていたので、イギリス(BT)の某プラットフォームやその他欧米の技術にもかなり触れています。


JJUGではSIP Servletについて発表させて頂いたり、その関係でJBossからGlassFishへ流れたり、BrekekeというマニアックなSIP Serverを使ったり、テレコム絡みでも分野問わず踊り食いといった感じでした。学会とかにも出ました。業務内容は、やはり部署としては研究開発がメインだったのですが、研究だけで食っていけるようなところでもなかったので、自分たちで企画した製品のデモアプリを作り、飛び込み営業のようなこともしました。それまでJavaのプログラミングエンジニア寄りだったところから、企画・営業へも手を広げることになりました。私はデモアプリを作っているときが一番楽しかったですし、自分で作ったものと資料を持って海外も含め他企業をまわるのもスリリングですごくわくわくしました。


しかもこの頃の企画が後に実を結び、なんかバカ高い案件を受注したわけですが一部のみなさんがよくご存知の通り政治的なアレに巻き込まれて見事にデスマになり、血や胃液を吐く人がたくさんいたり目の前で人が倒れたり、当時の人たちの消息を追ったら全員IT業界から去っていたりとか、あまり思い出したくないあれこれにも繋がっていきます。


2010年ごろから私はもっぱら管理を任されるようになりました。といっても、開発を受託する人たちの取りまとめというか、実現可能性を検討しながら設計にメインで関わりつつ、試験支援をするとかいった感じなので、いわゆる「外注管理」よりはまあ、下流寄りというか、ほぼ下請けと同じことをしていたのですが、たいへん居心地の悪い思いをしました。ただ勉強になることはすごく多かったです。


顧客のあれこれに付き合ったり顧客とその他企業の間に立って交渉ごとをしたり、あと顧客の研究開発を請け負ったり、検証を請け負ったり、もうとにかく顧客が自分で何もしない人たちであることが多くて、まあ彼らは彼らで別の仕事があるので仕方がないとはいえ、大企業の闇のような部分もたくさん見えるようになりました。


最終的に私は商用として全国的に公開されるWebシステムの担当になり、リリース直前のデスマにお付き合いしながら、その成功と一部保守を見届けたのち、退職となりました。このあたりでは、大規模なDisaster Recoveryにも関わったりして、ほぼインフラエンジニアみたいな仕事もしていたように思います。SIP絡みからパケットを観測することが比較的得意で、かつ様々なプロトコルの仕様などに馴染みがあるため、この辺はそれなりにつぶしのきくスキルであると思いました。あと、最後の最後は何十人もかけて徹夜作業するなか、UNIX及びコンテナ、デプロイされているソフトウェアをさわれるのが(自分も下請けベンダーなのに)自分ひとりだったとか、怖い経験もいろいろありました。


また、どこに入れたらいいのか迷うところですが、どこかの案件と兼業で新入社員向けのJava研修の講師っぽいことをしたり、下請け企業の新人さんになぜかJavaを指導したり、「教える」という分野もそこそこ経験しています。私はプログラマーとしての腕は十人並みといったところで、天才プログラマーには及ぶべくもない路傍の石ではありますが、C言語をかじっていることもあって、また計算機としてのコンピュータの歴史が好きだったり、学生時代は教育工学を研究していたりといった経験から、基礎レベルであれば「教える」ことは自分に向いていたなと思います。


さらに、あまり大きな声では言えませんが、業務外で個人的に一年くらいかけてWebシステムを請け負ったこともあります。個人では運用に至らなかったことが心残りです。さらにさらに、2006年くらいからjava-jaのみなさんと懇意にして頂いたことは、あまりにも狭かった視野を大きく開いていくきっかけになり、今でも心からこの出会いに感謝しています。「面倒くさい女子部員」のような存在に甘んじつつモヒカンのみなさんのお話を聞くのはいつも楽しかったです。効率的な考え方の基礎や、自分が全然知らなかった分野のソフトウェア開発についても学ばせて頂きました。感謝をこめてハメを外したコスプレなどについては陳謝するほかありません。


結局エッセイ調で書いてしまいました。なんとなく経歴の雰囲気が伝わるといいなと思います。自分で言うのもなんですが、一般的なWeb系エンジニアと比較させて頂くなら、それなりに毛色の変わった道を歩んできたのではないかと思います。


今の私は、企画・営業から要求定義(仕様書や設計書などのドキュメントは効率や善悪を度外視すればリバースでお作りすることもできます)、設計からコーディング、テスト(これもコードさえあればリバースでテストコードを作った挙句に試験成績表などもお作りできます)、運用に向けての総合的な安定化試験、技術支援・技術指導、導入支援、管理、交渉、研究発表、論文作成など、SEとして求められるスキルはそれぞれレベルの差こそあれほぼ網羅しているような状態に仕上がっていると思います。自分の名前は特許以外でほとんど残っていませんが、関わったシステムのうちいくつかは、今もどこかで動いています。ごくたまにそれを見かけると、一言では言い表せない複雑な気持ちになります。

総合的に見て、つらいことも多々あったけれど、知らないことを知って活かすことがなにより楽しいので、SEは自分に向いている職業だったなと思います。


◆退職してその先は?
具体的にはまだ決めていません。今は無職です。貯金がわずかにあるので、充電期間と考え、しばらく東京の片隅でひっそり生きようかなと考えています。

個人的には転職するくらいなら前職のまま一生やっていきたいと考えていたような(自分の人生に対しては保守的な)人間だったはずなのですが、いろいろあって退職という選択に至りました。言うなれば社会人をこじらせました。いつかまたこの辺の経緯についてもご紹介できればと思います。


ウィッシュリストです
会社の社宅に住まわせてもらっていたので社宅を出ました。そして引っ越しをしたら、メインのPCが壊れました。会社からお預かりしていたAdobe製品のライセンスも失われました。無職なのに出費がかさんで悲しいのと、あと来月が自分の誕生日月なので、Amazonのウィッシュリストを一時的に公開してみることにしました。かなりドキドキしています。
※キリンだけは勘弁してください。

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