痴漢冤罪をなくす方法について考えてみた話

結論を述べます。
痴漢冤罪をなくすには、
被害者側が「この人痴漢です!」と騒ぐのをやめればいい、と思います。

無言で腕を掴むとかそういうのもナシです。痴漢を捕まえようとするのをやめればいいです。ただそれだけです。

代替案も含めて以下に述べます。

もう少し詳しく、この記事の動機

このところ痴漢冤罪が話題になっているので、痴漢を疑われた人が線路に逃げる事件について調べていました。もっとも有名な事件のみしか知らなかったので、これまでの発生件数があまりに多いので驚きました。(東京都内だけで3月・4月ともに3件ずつ発生)

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また、この事件に関連して「痴漢を疑われて人生詰むくらいなら道連れにしてやる」というような意見もあり、さすがに恐怖を覚えました。

痴漢を検挙しようとした人が返り討ちに遭う、下手したら殺されるかもしれない、となると、怖いので誰も声を出さなくなるでしょう。その結果、元凶たる痴漢だけが得をすることになります。

本当にそうなったら最悪だと思ったので、前回の記事に続き、どうやったら痴漢冤罪がなくなるか自分なりに考えてみた、というわけです。

考えてみたら「この人痴漢です!」にはほぼデメリットしかない

なんらかの痴漢被害に遭った人が、「この人痴漢です!」と声を上げて疑わしき人物を警察に突き出す行為について考えてみます。

  • パターン1「捕まえた人物が痴漢犯人であった場合」:多くの場合、示談金を支払わせて終了です。実刑に至ることは少ないそうです。
  • パターン2「捕まえた人物が痴漢犯人ではない場合」:悲劇です。痴漢を疑われた場合、裁判においてこれを覆すことは非常に困難であり、90%以上が有罪になるとさえ言われています。

痴漢はあらゆる犯罪の中でもレイプや窃盗に次いで再犯率が高いとされる犯罪ですから、パターン1のように「本物」にヒットしたとしても、この程度で痴漢加害者が痴漢を金輪際やめるかというと、疑わしいところです。

パターン1の場合、被害者にとってのメリットは、「いくばくかの金銭を手にすることができる」、デメリットは、「警察と対峙する時間や手間がかかる」、加えて、勇気を持って痴漢を検挙したとしても、「この世から痴漢が減らない可能性が高い」となります。

パターン2は言うまでもなく100%悲劇、デメリットしかありません。

おまけに昨今では「逆上した人から殴られる・殺される」危険性まで付属することを考えると、「この人痴漢です!」にはほぼデメリットしかないことになります。

「この人痴漢です!」、だから何……?

痴漢を捕まえるためのテンプレ的なセリフであることは理解していますが、「痴漢です」だけだと、個人的には「だから何?」と思ってしまいます。なんだか変な表現だと思います。そのように言えば誰かが助けてくれる前提なのでしょうか、だとしたらなかなかに他力本願なセリフです。

もちろん、痴漢を捕まえようと声を上げる行為は、本来なら賞賛されるべきものでしょう。恐怖に負けず、勇気を出して正義を行おうとする心意気は素晴らしいと思います。ただ、「痴漢です」に関しては、言葉の意味がなんかズレてる気がする、という話です。

声を上げるなら、「何かご用ですか?」と言えばいいのでは

ここからが本題です。

「この人痴漢です!」をやめろというのは、痴漢を放置しろという意味ではありません。やり方を変えるべきだと思っているのです。

具体的には、以下の項目を満たす掛け声を考えればよいことになります。

  • 速やかに痴漢行為をやめさせられる
  • 再犯抑止効果がある
  • 可能な限り冤罪を発生させない

これらの3点に当てはまり、なおかつ状況に合った掛け声というと、「何かご用ですか?」なのではないかと思います。もし余裕があれば、「ご用があるなら口頭でうかがいます」と付け加えてもよいかもしれません。

では、上記のように考えた理由を述べます。

私は以前、痴漢行為をする人の心理について調べました。痴漢行為に及ぶ人間、とくに常習者においては、行為の最中ずっと「自分にとって非常に都合のよい妄想」のなかにいるそうです。どういう妄想かというと、「被害者も喜んでいる」「触られたがっている」というようなものです。

被害者が(多くの場合は恐怖と混乱のあまり)黙ってじっと耐えていると、この妄想は一切訂正されることなく、むしろ増強されていくそうです。たとえ警察に捕まったとしても、「あのときは運が悪かった」などと思い、とくに反省することもなく、痴漢を続けるパターンもあるでしょう。実際、再犯防止サポートを受ける段階になって初めて「被害者にも人格があった」と気づいた方の体験談を読んだことがあります。

つまり加害者は、被害者を一人の自立した人間だと考えていません。その妄想が砕かれない限り、痴漢を繰り返します。

ですから、被害者は加害者を捕まえるのではなく、ましてやヒステリックに悲鳴を上げるでもなく、ただ妄想をやめさせることに注力すべきです。

妄想を砕くためには、「被害者が人格を持った一人の人間である」ことを示す必要があります。

そこで考えたのが、「何かご用ですか?」です

「この人痴漢です!」には、そこに潜む他力本願さから、明らかに「被害者」として悲鳴を上げている感じが残ります。加害者が妄想力のたくましいタイプだと、むしろ喜んでしまうかもしれません。たとえ被害を受けても「被害者」という態度を取らないほうが、痴漢に関してはより適した対応にあたるのではないかと思います。ゆえに落ち着いた声で、冷静に、「何かご用ですか?」と問うわけです。社会のなかで当たり前に使われるセリフであることが重要です。相手を見下すようなものでもありません。たいへん「現実的」ではないかと思います。

こういう現実的な言葉を聞いてなお、都合の良い妄想に浸り続けられるほどの痴漢はそうそういないのではないかと予測しますので、「速やかに痴漢行為をやめさせられる」効果が期待できると考えます。

また、妄想が途切れることにより、警察に捕まるよりも確実に「失敗」したイメージを植え付けられるのではないでしょうか。よって、やや楽観的かもしれませんが、「再犯抑止」効果も少なからずあるだろう、と思います。

そして、もしも勘違いだった場合でも、「ご用ですか?」なら、聞かれたほうも答えやすいと思います。その結果無視されたり、「いいえ」「とくに用事はない」などと言われたりした場合は、その時点で痴漢行為が収まっているなら、不快感や恐怖が続くわけでもないですから、素直に勘違いだったと受け取れば問題ないと思います。

むしろ、特定の人に対して「ご用ですか?」と言う必要すらないかもしれません。痴漢行為はこちらが冷静な声を発した時点で「失敗」となり、止む可能性が高いです。そして、特定の人を吊るし上げないということは、「可能な限り冤罪を発生させない」においても、この掛け声は要件を満たしていると思います。

以上より、「何かご用ですか?」が最適解ではないかと考えました。

「何かご用ですか?」で痴漢行為が止まらない場合

そこまでしつこいようなら、被害者の勘違いであることもほぼないでしょうし、加害者の特定も容易になのではないかと思います。声を上げた時点で周囲の人間も何ごとかと思うでしょう。これもかなり楽観的ではありますが、少なくとも冷静さを失った状態で「痴漢です!」をやるよりは、冤罪も起こりにくいのではないかと思います。

ちなみに痴漢のような犯罪を本気で撲滅しようと思ったら、警察の捜査方法が飛躍的に進化する必要がある

「何かご用ですか?」は、満員電車がどうしようもない現実、現行の法律下で被害者が取りうる最低限の、且つ、最良の策として考えましたが、言ってしまえば苦肉の策です。ほかにできそうなことがないのです。

もし本当に本気で痴漢撲滅を構想するなら、大して役に立たない監視カメラ等ではなく、何かしら決定的証拠に繋がるシステムを導入すべきだと思います。SF的になりますが、網膜カメラで録画とか、痴漢被害をうまく集計して常習犯をあぶり出す方式を考えるとか……なんかそういうもの、人間の記憶のような頼りないものではなく技術が先行するほかない、と思っています。しかし実現するとしても何百年先のことやら……という感じですね。

痴漢を恐れすぎないことで、痴漢から身を守る

痴漢に遭うと、たいへん恐ろしいです。あと、理不尽に性を盗まれるわけなのでめっちゃ腹も立ちます。これについては最近読んだ男性の体験談がなかなか参考になる(しかも面白く読める)と思うのでリンクしておきます。

snufchan.hatenablog.com

リンク先のケースはやや特殊かと思いますが、自分より弱そうに見える相手ばかり狙う痴漢常習者は、何度も述べた通り奇妙な妄想に浸りきっていないと行為に及ぶことができない、ある意味では小心者です。あるいは、万引き犯のようについ出来心で、となった場合でも、その人は「自分に都合のよい相手の性を盗む」行為にしかたどり着けないくらい、社会から追い詰められた人間であるケースもあります。

また、死ぬほど不快で死ぬほど恐ろしく死ぬほど腹が立つ、とはいえ、実際に大怪我を負わされたり命まで取られたりすることは、ほぼないでしょう。被害を過小評価すべきではありませんが、過大評価する必要もありません。

ですから必要以上に恐怖を感じる必要はなく、こちらも正々堂々としていればいいのではないか、と思います。「触りたいなら口頭で了解を取れ」「そうでないなら失せろ」と思えばよい、不快であることを表明してよいと思います。若い方、とくに学生の方では恐怖も大きかろうと思うのですが、このように痴漢についてある程度予習・思考の訓練をしておけば、少しは冷静でいられるのではないでしょうか。

少なくとも「わけの分からない恐怖」は減じるのではないかと思います。老若男女関係なく、誰もが一人の人間として自尊心を保ちつつ、痴漢犯罪から心身を護ることができれば、と思っています。

なぜ私が痴漢犯罪にこだわるのか

痴漢はクソみたいな犯罪だと思います。だからこそ、次世代のことを考えるとただもうひたすら情けないからです。

散々痴漢に悩まされた我々の世代で、痴漢に対抗する術を誰ひとりとして考案できず、警察は真剣さのかけらもないポスターばかり量産し、司法は疑わしきをよく調べもせず罰して、鉄道会社は女性専用車両などという的外れの対策をするばかり、次世代の若い人々がやはり我々と同じようにクソしょうもない犯罪や悲劇的な冤罪に悩まされる……と思ったら、果てしなく情けない気分になりました。

友人知人のもとに次々と子どもが誕生し、次世代のことを意識する年齢になってみて初めて、ようやく、これはなんとかせなあかんのでは、と思った次第です。

まとめ

現行の法律下で痴漢を捕まえようとしても大してメリットがないので、ヒステリックに騒いだりせず、怒りを鎮め、「何かご用ですか?」と冷静に尋ね返すことで、痴漢常習者の妄想を砕くとよいのではないでしょうか。これにより、冤罪被害に至る可能性も大幅に減らせると思います。