貧しい食卓

関西の実家を離れて十数年が経つ。二年ほど前から帰省をやめた。
理由はいくつかある。
ひとつには実家が引っ越して、帰省先が自分の育った家・地域ではなくなったこと。

私の育った家庭は父母と弟、自分の4人家族で、二十年ほど前に新興住宅地として開発された兵庫県の海沿いのマンションに住んでいた。
そのうち私が家を出て母が亡くなり弟が自立して、ついに独り暮らしになった父は、家族と暮らした土地ではなく、父にとっての地元である大阪で暮らすことを選んだ。
父だけが住む、父の地元の「実家」は、帰省しても私にとって居心地のよい場所では到底ない。
私のための布団が用意された和室には、母の遺影と遺骨が置かれている。父は寂しいからと言って母の死後十年以上経っても納骨をしていない。
私は母と折り合いが悪く、死んだ母に監視されているような場所で眠るのはつらい。何度か父にそう話したが、父は苦笑いをするだけだった。
ほかに布団を敷く場所もないのだろう。私は帰省するたび我慢を強いられた。遺影を見ないふりをして、起きていられなくなるまで本を読んでから寝た。
早めに起きてすぐに身支度をし、和室を出る。
自分には馴染みのない駅までの道のりを、いつも地図を見ながら歩いた。

ほかの理由の話もしよう。

たいてい帰省すると言うと、父はいそいそとイタリアンレストランを予約する。
なぜなら父はイタリアという国が好きで、イタリアに関する仕事もしていて、イタリアの食事ももちろん好んでいるからだ。
私は和食のほうが好きだが、父が嬉しそうなのでとくには反対しない。
毎回同じ店にいく。頼むメニューもほぼ同じ。
弟は胃腸が弱いくせに浴びるほど酒をのむ。ジョッキビールにワインをひとりでのんで、帰宅後にさらに発泡酒を2~3缶のむ。
ときどき吐いている。私はそれほど酒が得意ではないので見ているだけで気持ちが悪くなる。
父は「もう大人だから」と言って苦笑いをし、とくに注意などしない。
父も弟も食べるのが早い。そしてよく肥えている。

これだけなら、単に食の好みの違い、食べる量の違いで済む話かもしれない。
けれどその翌日の昼食の光景は耐えがたい。少なくとも私には、いつまで経っても馴染めないものだ。

父も弟も休日の朝は遅い。よって朝食はとらない。
昼近くなってから動き出す。弟は決まって「父が近所のスーパーで買ってくる最安値のカップ麺」を食べる。
カップ麺だけでは足りないらしく、それに加えて「父が近所のスーパーで買ってくる最安値のおにぎり」をさらに2個食べる。気分によっては発泡酒ものむ。
弟は毎回それらを食べるので、父は予めカップ麺とおにぎりを用意している。
テレビで将棋中継を流しながら、テレビの前に座って弟は一人でもくもくと食べる。
父は弟の腹が膨れたかどうかだけを気にする。「うまいか」とは尋ねない。
弟が半分ほど食事を終えた頃、父はどんぶり一杯ほどの冷凍ご飯を電子レンジであたためる。
あたたまったご飯に生卵と醤油をかけ、それだけを啜って食べる。
父はテレビも見ない。どんぶり一杯の卵かけご飯をもくもくと食べる。ものの数分で食べ終わると、茶を飲みながら流し台で煙草を吸う。

私はその光景を、ただ目の端で見るともなしに見ている。
私は昼ご飯を食べない。
毎回、昼過ぎから友人と会う約束をしている、と父に説明する。友人と食べるので昼ごはんは要らない、という意味だ。すると父は毎回ほっとしたような顔をする。
父は、私は食事にうるさいと思っている。最安値のカップ麺や卵かけご飯では文句を言われると思い込んでいる。
そのくせ、さすがに何も用意しないのは悪いと思うのか、バナナとヨーグルトがあるから食べろ、と言われる。
バナナは買ってすぐ冷蔵庫に入れられているので青臭くてカチカチで、ヨーグルトは幼児向けの甘ったるいミニパックだ。
どちらも食べる気になれず、私は肩をすくめる。

私は自宅でなら、カップ麺も卵かけご飯も食べる。むしろどちらも好物ですらある。
安いものを食べないわけでもない。むしろ関西人の例に漏れず、よいものを安く上手に買いたいという欲求が強いため、安い食材は大歓迎だ。
ただ弟と並んでカップ麺を啜りたくはないだけだ。父の隣でおかずも汁ものもなしに卵かけご飯だけを大量に食べたくない。
わざわざ帰省して、地元名物でもなんでもないどちらかといえば苦手なイタリアンと、格安カップ麺だけで休日を終えたくない。
食べるなら少しは楽しみたい。無言でテレビを見ながら食べたくない。

この食卓に私の居場所はない。いつもそう思った。思うたび、悲しかった。

ひたすら物悲しい気分になる。

かつては自分の手料理を持参したこともあった。何か作ろうか、と提案したこともある。
手料理を持っていくと言っても、長時間の持ち運びになるので量や質は限られる。少量のそれを彼らは一瞬で飲み込む。「うまい」のほかに感想はない。
ケーキを持っていっても、全員でテーブルについて食べる、というようなこともない。
弟はテレビを見ながら、食べたあとに発泡酒をのむ。父は残ったものを見て、そわそわと日持ちを気にする。
何か作ろうか、という提案については、そもそもろくな調理器具がないし揃える気もないので何も作らなくていい、と拒否されている。
父は表面上は「疲れているだろうから料理などさせたくない」と言う。それを押し切るほどの気力が私にはない。
何もかも徒労に終わる。

考えてみれば、母が生きていた頃も父は平日夜遅くに帰宅して、一人でもくもくと食べていた。
母は母で、夕食は炭水化物を取らず食卓にもつかず、おかずをつまみに缶ビールを何本も飲む。酔いがまわると暴れた。
母が亡くなってからいよいよ、父はスーパーで格安で売られているうどんか、卵かけご飯しか食べなくなった。

年に数回、海外旅行をするのが父の趣味だ。渡航先では「うまいもの」をたらふく食べるらしい。
地元の友人とレストランへ行くときも、「うまいもの」を食べるのだと言う。
だから父にとって、家で食べるものは全部「餌」で構わない、ということなのだろう。

一方、家を出てから私は自炊をするようになった。幸いなことに友人にも恵まれたので、食事に対する感じ方がじょじょに変化した。
どうせ食べるなら、おいしいほうがいい。
好きなものを好きな味付けで作れるようになりたい。そのほうが便利だ。
私はずっと、「食卓を囲む家族」などというものは、ドラマのなかにしかないものだと思っていた。だからドラマになるのだと。
しかしどうやら友人たちのなかには、ドラマのような光景を当たり前のものとして育った者もいるらしい。
もしかするとあれは、「ドラマの中のものだから」と切り捨てるべき光景ではなく、私が、この貧しい感性しか持たぬ私でも、目指してよいものなのかもしれない。
私は努力して、調理を覚えた。客人にはお茶を出すことも、テーブルを囲んで食べているときは、自分だけ先に席を立たないこと、「みんなの当たり前」を少しずつ学んだ。

父や弟に非はない、彼らの感覚が狂っているわけでもない。私は私で学んだが、それを常識だとは考えていないし、押しつけようとも思わない。
結局のところ私には、「当たり前」は分からないのだ。

ただ父や弟とは、食事に対する考え方が違う。単純にそれだけだが、決定的に、もうすっかり、違うようになってしまった。
私は父の食事の光景を、「貧しい」と感じてしまう。他人だったら笑い話にできたかもしれない。でも私は自分の家族の食事を笑えない。
私はかつてあの貧しさのなかで育った。だから否定も肯定もできない。そこかしこに自分がいる。全部の自分を殺したくなる。ひどく悲しい。

私が帰省しなくなった根本的な理由はそれだろうと思う。

イタリアンレストランにも、カップ麺にも卵かけご飯にも飽きてしまった。貧しいと思ってしまう居心地の悪さにも飽きた。
実家で「食べる」ことを考えるのが嫌になった。カチカチになった甘くないバナナも、甘すぎるヨーグルトも困る。
「追熟しきるまで冷蔵庫には入れないほうが」、と何度説明したか知れない。父は頑固で、買ったばかりのバナナを冷蔵庫へ入れるのがもう習慣になっている。習慣は変えられない。
冷蔵庫にはバナナと、ヨーグルトと卵、3袋100円ほどのうどんが必ず入っていて、ほかには牛乳とお茶しかない。
炊飯器は薄汚れている。目につく調理器具はやかんと片手鍋だけ。まな板と包丁は使われた形跡がない。

世間では、今日は父の日らしいですね。

父には毎年ギフト券を贈っています。帰省しないからといって、縁を切ったわけでも憎んでいるわけでもない。幸せでいてほしいので、世間のイベントには喜んで乗っかります。
それでも、今なお良心に責められている気がする。
みなさんはいかがお過ごしですか?

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